1. 親父の転院でやっと一息…のはずが、“自宅処分”という新たな問題
2023年8月下旬、ようやく親父の転院が終わりました。
その後、おじさんは母と同居するため、札幌で新たな住居を探そうと考えていたのですが――ここでまた大きな壁にぶち当たります。
「自宅を処分できない」という問題でした。
この自宅、もともと二世帯住宅として建てられていたので、田舎の家らしく間取りも広く、庭や駐車スペースも十分。
正直、築50年のボロ家ではありましたが、過去に何度か修理やリフォームもしていたため、「ちゃんと手を入れればまだ住める家」だったと思います。
でも、母がおじさんと札幌で同居する以上、この家はもう必要ありません。
元々母は地元の人間ではなかったので、地元に対する愛着もさほどなく「二度とここには戻らない」と言っていました。
「賃貸物件として貸し出す」という案も考えましたが、築年数も古く、水道管なども劣化しています。
他人に貸すとしても、かなりのリフォームが必要。
しかも、札幌と地元は300キロも離れているため、何かトラブルがあったときにすぐ対応できる状況でもありません。
将来的におじさんも地元に戻るつもりは一切ありません。
なので実家は、「売却一択」と考えていました。
しかし、ここで「売却が不可能」という大問題が発覚します。
認知症の人間(親父)は所有物の売買や契約行為ができないのです。
親父は重度の認知症で、判断力はゼロに近い。
それでも「家や土地を売却するには本人の意思確認が必要」という法律上の壁があります。
地元の不動産屋や司法書士にも相談してみましたが、まずは土地と建物の権利書を確認してみましょう、という返答でした。
そうしておじさんの家探しがはじまったのです。
そもそも、この手の書類は親父がすべて管理していました。
親父は今回の件の前から軽度の認知症だったせいか整理整頓が全くできず、必要な書類がどこにあるのかおじさんたちでは分かりません。
母と二人で親父の書類の山から、ようやく「土地の権利書」だけは発見しました。
ところが、その土地の名義はなぜかおじさんの名前になっていたのです。
もともと親父名義だったはずなのに、いつの間にか名義の変更をしていたらしい。
「何を考えてそんなことを…?」と思いましたが、真相は闇の中です。
続けて、家の権利書も探しましたが、家の中を隅々まで探しても、とうとう見つからず。
どうやら親父がどこかに持ち出して紛失したようでした。
ですが、家の名義は依然として親父のままです。
もう、何が何だか分かりません。
せめて家の名義もおじさんになっていれば、スムーズに処分できたものを…。
本当に「どうしてこんなややこしいことをしたのか?」と今でも疑問です。
本人に問いただしたくても、今の親父はもう答えられません。
結局、「土地は売れても家は売れない」、つまり親父が亡くなるまで自宅は何もできない状態のまま残されることになりました…。
2. 片付け地獄、ここに始まる—想像以上のゴミ屋敷化
色々手を尽くしましたが、現時点で自宅の処分は不可能と判明。
そこで、いつか売却できる日が来た時のために、家の中の家財をすべて処分することにしました。
ここまで読んでくださった方は、もう予想がつくかもしれませんが、この作業も当然ながらスムーズには進みません。
なんと実家は、ほぼ“ゴミ屋敷”と化していたのです。
親父は、いわゆる「物を捨てられない病」の典型。
どう見てもいらないものを「いつか使うかもしれないから」と何十年もため込む人でした。
けれど、その「いつか」は一度も訪れることはなかったのです…。
これまでも書いてきましたが、親父はとにかく自己中でわがまま。
家族の言うことなんて聞いたら負け、ぐらいの人間です。
何度不要物を処分するように言っても絶対に聞きません。
「いつか使うかも知れない」と溜め込まれたガラクタは本当に多種多様。
例えば、インクが出ないボールペンが何百本、30年前の未使用タオルや、サイズが合わなくなって着られない衣類も山積み。
他にも、古い家電や使い道不明の道具類、どこかで貰った粗品など、とにかく「なぜこれを取っておいた?」という物で部屋が埋め尽くされていました。
さらに、母が陶芸を趣味にしていたので、母が作った陶芸作品が床を埋め尽くす状態。
(母は処分したいと何度も言ったそうですが、もちろん親父が聞くわけもありません)
加えて、親父が骨董品好きだったので、あちこちで集めたり譲られたりした骨董品の山もありました。
しかも集めて満足するタイプなので、清掃も修理もせず、価値も調べない。
事実上の「ゴミ」ばかりです。
思い出すのは、昔親父が古時計収集にハマっていた時期。
掃除もせず修理もせず、リビング中に古時計を並べては、来客から「時計が多すぎて不気味」「どの時計が正しいのか分からない」と言われ、ようやくリビングからは撤去。
しかし、捨てるはずもなく、空き部屋に放り込んでいたんですけどね…
実家は広さだけはあり、しかも両親の二人暮らしだったので、使用していない部屋がいくつもありました。
そのほとんどすべてが、床にまで敷き詰められた「ゴミ」で埋まっているのです。
事実上、生活スペース以外は完全に「ゴミ屋敷」と化していたのです。
まずは、この山のようなゴミを処分しなければ始まりません。
粗大ゴミで出せる物は粗大ゴミで、大型の家具等は地元の廃品回収業者に引き取ってもらいました。
それでも片付いたのは3割ほど、残り7割のゴミの処分は、おじさんの仕事です。
少しでもお金になりそうなものは、フリマサイトで出品。
母の陶芸作品は値段がつかないので、本人の希望でお気に入りの数点以外すべて処分。
おじさんがゴミの日ごとにせっせと運び出す毎日が始まります。
ちなみに、陶器って本当に重いんですよね…。
これらのゴミに加えて、実家にはおじさんの「オタク歴40年超」のコレクションも保管されていました。
当時住んでいた札幌のマンションにはとても置き場がなく、仕方なく実家に預けていたものです。
これらのコレクション(レア漫画・レア雑誌・未組立のガンプラ・CD等)はちゃんと分類して整理してありました。
おじさんは親父と違って割と整理好きだったんです。
一時期某メルカリで偽物が大量出品されて話題になった、「週刊少年ジャンプのドラゴンボール初連載号」――おじさん、本物持ってたんですよね、しかも保存状態は超極上…
他にも、マニアなら垂涎もののアイテムを大量保管していました。
札幌の新居に移るとしても、これらのコレクションを全て持っていくことはできません。
泣く泣くフリマサイトで大半を手放すことに…。
これらの処分には約3ヶ月ほどかかりましたが、何とかほぼ全ての「ゴミ」と「おじさんのお宝」を処分することができたのです。
3. 片付けと同時進行の新居探し―トンデモ不動産屋との遭遇
実家の片付け、ゴミ掃除と平行して行っていたのが、札幌での新居探しです。
当時おじさんが住んでいたマンションは1LDK。空きスペースはほとんどなく、母の寝室や実家から持ち出す貴重品やわずかな家具を置く余裕もありません。
そのため、母と同居するためには別の住宅を探す必要がありました。
希望条件としては、今の生活圏からあまり離れないこと、築20年以内、最低でも2LDK、駐車場付き。
加えて、なるべく最上階――というのがおじさんのこだわりポイントでした。
最上階を希望する理由ですが、ややHSP(人一倍、刺激や気持ちに敏感な性格)気質のあるおじさんは、上階のノイズが結構気になるのです。
普通の生活音なら、まあ仕方ないか…で我慢もできるのですが、これまで何度も引っ越し経験のあるおじさんは、上階のトンデモ住人に悩まされることが何度かありました。
最悪だったのは、何か気に入らないことがある(と思われる)と、床を蹴るクセのある住人の下の階に住んだ時でした。
突然床をドカドカ蹴り飛ばすイカれた住人に、おじさんもすっかり参ってしまいました。
その時は管理会社を通じて3回ほど苦情を入れた覚えがあります。
今のマンションは構造もしっかりしていて、上階のノイズもそこまで気にならなかったのですが、唯一大きな欠陥がありました。
なぜか斜め上の部屋のトイレの排泄音が寝室の真上から丸聞こえなのです。
夜、ベッドで横になっていると突然「ジョジョジョ~」という音が…。
とはいえ「オシッコするな」とクレームを付けるわけにもいきません。
毎回耳をふさいでやり過ごしていましたが、「洋式便器で立ちションするな!」と声を大にして言いたい気分でした。
――話が横道にそれましたが、そんなわけで上記の条件でネットを使って物件探しをスタート。
ある程度物件の目星を付けてから内覧に行かないと、往復だけでも600キロですからね…
こうしてネットで物件検索し、特に条件に合う2件に目星をつけました。
1つは2階建ての1階、最上階条件からは外れますが、とにかく延床面積が広い。
実家からの荷物もかなり運び込めそうな物件です。
もう1つは希望条件すべてにヒットした上に、今の住所から直線で1キロも離れていない好立地。
他にも次点で数件ピックアップしていましたが、やはりこの2件が抜群でした。
ただ、ここでひとつ問題がありました。
実はこの時、おじさんは「無職」だったのです。
おじさんは札幌で介護職に就いていましたが、元々ハードな職場環境で夜勤が月10回以上。
人手不足もあって、夜勤明けからの残業の連続で、1日20時間以上働くことも珍しくありませんでした。
結局、過労で腎盂炎になり救急搬送。
1ヶ月ほど復帰できず、その後何とか職場復帰したものの、体力・メンタルともに限界が近かったので、やむなく退職した――という経緯です。(この話はまたいずれ詳しく書きたいと思います)
最近の賃貸物件は「審査」があり、無職だと保証人が必要になったり、審査に通らないことも多いのですが、おじさんは預金も十分、個人投資家としての収入もあり、保証人も信用度の高い方にお願いできるあてがありました。
なので、審査自体はそこまで心配していませんでした。
まず最初の物件(広い方)を扱う不動産会社に電話したのですが、この不動産屋が大地雷でした。
電話口の店員が、内覧の申込み時点で個人情報を根掘り葉掘り質問してくる。
「なんでそんなことまで?」という内容まで聞かれ、かなり不快な気分に。
しかも最後に
「あ~無職なんですねw 無職はこの物件借りられないんですよww この物件は審査がきびしくて、無職の人には貸してくれないんですよね~www」
と、半笑いで言い放つ始末。
この会社、道内ではそれなりに大手で、しかも後で知ったのですが、この男はそこの店長でした。
さらに「無職でも借りられる物件を紹介してやる」と恩着せがましいことまで言い出す始末。
こちらもいい加減腹が立ったので「もう結構です」と電話を切りました。
ちなみに、後日グーグルのクチコミを見ると、この店長へのクレームがレビューの三分の一を占めていました。
「物件に関してウソをつく」「客に対して差別的な態度を取る」等など…納得の人物です。
もちろんおじさんもしっかりレビューを書いておきました。
最初の物件で大ハズレを引いてしまいテンションも下がりましたが、投げ出すわけにはいきません。
翌日、もう1件の不動産屋に電話。
こちらの担当者は淡々と手続きし、審査も即通過。
前の居住者が退去したその日に内覧できるように手配してくれました。
前の不動産屋とのあまりの対応の違いに驚きましたが、レビューを見たら「神店員」として絶賛されている方でした。
母と一緒に札幌まで行って内覧。
物件は築年数の割に状態も良く、内装もきれい。
しかも都市ガス(道内では珍しい!)で、駐車場はロードヒーティング付き。
この家賃で都市ガス物件、ロードヒーティング、最上階、広さ十分、おまけに警備会社とも契約済み。
「もうこれ以上の物件は出ないな」と即決で契約しました。
こうして札幌での新居が、ようやく決まったのです。【後編へ続く】
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