今日は母と一緒に、療養型病院に入院している父のところへ見舞いに行ってきました。
父は2年ほど前から札幌の病院にお世話になっています。
詳しい経緯については以前ブログ記事「親父が倒れた日から始まった、おじさんの人生転機録【前編】」にも書きましたが、間質性肺炎で一時は危篤状態に陥り、一命は取りとめたものの、その後は寝たきりと重度の認知症になってしまいました。
医師からは「これ以上の回復は難しい」と告げられています。
おそらく退院できる日は来ないと思います。
それでもおじさんと母は、だいたい月に1回のペースで面会に通っています。
父の反応は、日によって違います。
母の顔はなんとかわかるようです。
目が合うと、わずかに表情が緩むんですよね。
けれど、おじさんのことは日によって反応が違います。
おじさんのことを理解している日もあれば、叔父の名前を呼ぶときもあります。
会話は、ほとんど成立しません。
ベッドに横になったまま、ただ天井のあたりをぼんやり見つめています。
こちらが話しかけても、返事はなく、別の方向をじっと見ているんですよね。
正直なところ、「ここまで会話もできないのに、見舞いに来る意味ってあるのかな」と思ってしまう瞬間があります。
ただ、まったく行かなくなるのも、それはそれでおじさんの良心がとがめるんです。
元気かどうかを自分の目で確かめたい気持ちもありますし。
だから結局、月に一度は病院まで足を運んでいます。
今日も、会話らしい会話はほぼありません。
差し入れに持っていったプリンを、スプーンで少しずつ口に運びます。
父は目を閉じたまま、ゆっくりと口を動かしていました。
嚥下がうまくいかない日もあると聞いているのですが、今日はちゃんと飲み込んでくれます。
それだけで、少しホッとするんですよね。
看護師さんが「今日は機嫌がいいですよ」と声をかけてくれました。
機嫌がいいといっても、こちらが想像するような明るさとは違います。
ただ、穏やかに過ごせているという意味なのでしょう。
しばらく父の様子を眺めてから、母と病院を後にしました。
病院の用事が終わったあとは、今度は食料品の買い出しです。
自宅近くのスーパーに寄って、1週間〜10日分くらいの食料をまとめ買いしました。
我が家のスタイルとして、「買い物はできるだけ回数を減らして、一度でドサッと買う」が定番になっているんですよね。
おかげで、レジを通過するころにはカゴもカートもパンパンです。
とはいえ、母は足が悪く、重い荷物を持って歩くのは厳しい状態になってきました。
結局のところ、荷物を持つのはほぼおじさん一人の仕事なんです。
今日は特に買うものが多く、駐車場から自宅まで何往復かする羽目になりました。
なかなかの重量で、「これもいい筋トレだと思うしかないか…」と心の中でぼやきつつ、えっちらおっちら運びます。
両手に食料品の袋をぶら下げ、階段を上る自分の姿を想像すると、少し笑えてくる時があります。
そんなこんなで、今日は父の見舞いと食料のまとめ買いで、一日がほとんど終わってしまった感じです。
どこかに遊びに行ったわけでもないし、特別なイベントがあったわけでもありません。
しかし、両親のことを考えながら動いている時間というのは、地味ではあっても、おじさんにとっては大事な生活の一部なのだろうなと感じます。
たまに「なんで自分ばかり、こんなに頑張っているんだろう」と弱音を吐きたくなる日もあるんです。けれど、それを言っても仕方がないんですよね。
誰かがやらないと回らないのが現実です。
それでも、父がプリンをゆっくり食べる様子を見守れたこと。
母が「ありがとうね」とぽつりと言ってくれたこと。
そういう小さな瞬間が、おじさんをなんとか支えてくれている気がするんです。
せめてこうしてブログに書き残しておくことで、自分なりに気持ちの整理をつけていけたらいいなと思いました。
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