1. ようやく新居決定、そこから連続引っ越しの始まり
色々とありましたが、ついに札幌での新居が決まりました。
となれば、次は引っ越しの手配です。
まずはおじさんが現在住んでいる札幌のマンションから新居への引っ越し。
その後、地元から札幌への母の荷物の引っ越し――二段構えの引っ越しです。
おじさんは今回が4回目の引っ越しなので、それなりのノウハウも身についていました。
個人的な経験から言うと、全国大手の引っ越し業者はサービスこそ充実しているものの、料金もそれなりにお高い印象です。
一方、北海道内の中規模の会社は全国大手より安価で、サービスも十分。
これまで利用してきた感覚では「費用とサービスのバランスは地元密着型が一番」というのが実感です。
そこで今回は、過去にも利用したことがある地域密着型の引っ越し会社と、全国展開している中規模の会社の2社に見積もりを依頼することに。
札幌市内の単身引っ越し、しかも移動距離が短いこともあり、両社とも見積額はかなり抑えめでした。
色々と検討した結果、アフターサービスも含めて安心できそうな全国中規模の会社に決めました。
10月中旬、無事に引っ越しが完了。
特にトラブルもなくスムーズに終わり、おじさんもホッとしたのを覚えています。
ただ、これまで8畳だった個室が6畳になったことで、荷物を入れてみるとやや手狭に感じることに。
とはいえ、贅沢は言っていられません。ここは割り切るしかありませんでした。
こうして札幌市内の引っ越しは終了。
ですが、休む間もなく、次は実家から札幌への母の引っ越し手配に取りかかります。
実家から札幌までは約300キロ。
この長距離移動が最大の壁となりました。
地元はそれなりの規模の街ではあるものの、引っ越し専門の大手業者は進出していません。
そこで、地元の日本◯運に見積もりを依頼してみることに。
母の荷物はチェストサイズのタンス1つ、シングルベッド、段ボール約20箱、衣装ケース4つほど。
単身引っ越しとしてはやや多めですが、家族引っ越しと比べればはるかに少ない荷物量です。
しかし、◯通の担当者が提示した金額は「約30万円」。
思わず絶句しました。
これなら貴重品だけ自分で運んで、家具類は札幌で新調した方が安上がりです。
「ちょっと検討してみます」とやんわり断りましたが、この時点でもう日◯には頼まないと決めていました。
その後、札幌よりも近場の街の大手引っ越し業者にも問い合わせましたが、長距離ということで「管轄外」と断られる始末。
残された選択肢は、札幌から引っ越し業者に来てもらう方法のみ。
とはいえ、往復で600キロです。
また「30万円」と言われたら…と不安になりつつ、ネットで長距離引っ越し対応の札幌の小規模業者を探しました。
何社か電話してみると、「対応可能ですよ」と即答してくれる業者を発見。
荷物の内容を口頭で伝えると、「10万円以下でいけます」とのこと。
即決しました。
こうして、ようやく地元から札幌までの引っ越し段取りが完了。
引っ越し日は11月下旬に決まりました。
2. ついに実家に別れを告げて―猛吹雪の中、札幌へ
引っ越し日が決まり、あとは準備を進めるだけとなりました。
とはいえ、荷物自体はそれほど多くなかったので、作業自体はそこまで大変ではありません。
ただし、荷物を運び出しても実家には大型の家具や家電がいくつか残ります。
それらは地元の廃品回収業者に依頼し、引っ越し後にすべて処分してもらうことにしました。
いつでも家を売却できるよう、室内は空っぽにしておきたかったのです。
引っ越し当日の段取りは、まず荷物を搬出し、その後すぐ廃品回収業者が残りを引き取り、さらに翌日からハウスクリーニング業者に清掃をしてもらうという流れでした。
おじさんたちも、引っ越し当日に札幌へ向けて出発する予定です。
しかし、ここでまたしても不安な要素が立ちはだかりました。
週間天気予報によると、引っ越し当日は全道的に荒天となる見込み。
しかも、おじさんたちが通るルートが最も天候が荒れやすいという情報まで…。
11月下旬は、例年ならまだ根雪にもならず、なんとか無事に札幌まで行けると思っていたのですが、この年は珍しく大荒れの予報が出てしまいました。
荷物は業者に運んでもらうとしても、おじさんたちは自家用車で札幌まで移動しなければなりません。
すでにスタッドレスタイヤには履き替えていましたが、できればこんな日に長距離運転は避けたいところです。
引っ越し数日前から、「当日、業者は本当に来てくれるのか?」「無事に札幌までたどり着けるのか?」と心配で、天気予報を何度も確認してしまいました。
迎えた引っ越し当日、朝の時点では天候は曇り、風もさほど強くありません。
午前9時、引越し業者が時間通りに到着。
前日から現地入りしていたのかと尋ねると、「今朝4時に札幌を出てきました」との返事。
頼もしい限りです。
引っ越し作業は2時間足らずで完了し、業者は札幌へと出発していきました。
荷物の搬入日は翌日なので、おじさんたちもなるべく早く地元を発つことに。
廃品回収やハウスクリーニングの立ち合いは、母の知人にお願いしてあったので、おじさんたちもお昼前には地元を出発しました。
ここからが本番です。
昼食はコンビニで簡単に済ませ、海岸線の国道へ出ると、まさに予報通りの猛吹雪。
雪と風で視界はほぼゼロ、横風でハンドルをまっすぐに持っていても車が横滑りするほどでした。
さすがに「これはヤバい」と思いつつも、翌日が荷物の搬入日なので引き返す選択肢はありません。
2時間ほど暴風雪の中を進み、ようやく内陸のバイパスから高速道路に乗ると、天候も落ち着いてきました。
夕方にはなんとか札幌に到着。
運転の疲れもあって、おじさんはヘトヘトになっていました…
翌日、引越し業者が無事に母の荷物を新居へ搬入。
こうして、おじさんの半年にわたる転居活動はついに完了したのです。
その後は、母の転居手続きやおじさんの住民票の移動など細々とした用事が続き、一息つけた時にはすでに年末近くになっていました。
3. 怒涛の半年を乗り越え―札幌で始まるおじさん一家の再スタート
親父が危篤になってから、あっという間に半年が過ぎ――それから気づけば、もう2年が過ぎようとしています。
母は札幌で改めて介護認定を受け、今は要介護1。
週に2回デイサービスへ通う日々です。
札幌に知り合いはほとんどいませんが、それも逆に新鮮なのか、母なりに楽しみを見つけている様子で、少し安心しています。
親父のほうは、転院してから2年間、完全に寝たきりのままです。
見舞いに行っても会話はほぼ成立せず、自分がどこにいるのかもわからないような状態になりました。
認知症もどんどん進行し、最近ではおじさんの顔すらわからなくなってきました。
おじさん自身については、前職の介護職に戻るのは断念しました。
理由はいくつかあります。
ひとつは、体力的に介護の仕事が厳しくなってきたこと。
長年いくつかの持病を抱えている身なので、どうしても肉体労働が続くと体調を崩しやすいのです。
もうひとつは、やはり母の存在です。
母は膝が悪く、100メートル歩くのも難儀するため、外出や通院の付き添いは欠かせません。
もし自分がフルタイムで外に働きに出れば、母を自宅に一人残すことになる。
父の入院をきっかけに気力も落ち込みがちになった母が、この先さらに認知症になるのでは…それが正直、一番怖いのです。
ありがたいことに、これまでの貯金もありますし、両親の年金も多少は出ています。
おじさん自身の投資運用も、そこそこのリターンが続いています。
だからこそ、今は在宅ワークを選択しました。
ブロガーやWebライターとして、パソコンひとつでできる仕事を軸に、母の生活サポートと自分の仕事の両立を目指すことにしたのです。
もちろん、まだ大きな収入が得られているわけではありません。
それでも、焦らず地道に、気長に、そして前向きに続けていこうと思っています。
4.【あとがき】「人生の転機」と、これから
こうして振り返ってみると、親父の突然の危篤から始まり、半年にわたる実家の片付けや名義問題、猛吹雪の中の引っ越し――本当に“怒涛”という言葉がぴったりの時間でした。
当時は、目の前のことで精一杯で、毎日が「とにかく無事に今日を乗り切る」だけで終わっていった気がします。
それでも今、こうして札幌で新しい生活をスタートできていることに、少しずつですが実感と感謝が湧いています。
人生には思い通りにならないことがたくさんあります。
今回のように、親の病気や家の問題、自分の健康や仕事――予想もしなかった困難が突然やってくることもある。
けれど、そうした困難の中で「自分にできること」「自分が守りたいもの」が少しずつ見えてくるものだと、あらためて感じました。
おじさんの場合は、両親と自分の生活を守りつつ、少しでも“居場所”や“役割”を持てるような仕事を持ちたい――それが今の目標です。
このブログやnoteも、そのための大切な居場所だと思っています。
まだまだ小さな一歩かもしれませんが、ブログやnoteを通して、自分の経験や思いを発信していくこと。
同じような悩みや状況の方に、少しでも「自分だけじゃない」と思ってもらえたら嬉しいです。
そして何より、ここまで長い文章にお付き合いくださった皆さま、本当にありがとうございました。
もしまた何かのご縁でこのブログやnoteを覗いていただけたら、とても嬉しいです。
おじさんも新しい人生のスタート地点に立ったばかり。
これからも、ゆっくりでも確実に、前を向いて進んでいこうと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
コメント